家元の遺伝子は、直弟子たちによって独自の進化を遂げた。立川志の輔は、緻密に計算された構成力と新作落語の圧倒的な完成度でPARCO劇場を満員にし続け、現代演劇ファンをも巻き込む新たな落語体験を創出した。
一方の談春は、登場人物の情念を極限まで掘り下げる重厚な語り口で、古典の言葉に現代のリアリティを吹き込む。チケットが最も取れない噺家の筆頭として、文学作品を読むかのような深い余韻を客席に残す。
そして立川志らくは、シネマ落語をはじめとするアヴァンギャルドな試みと歯に衣着せぬメディア活動を通じて、談志の持つ毒と批評精神を現代の茶の間に投げかけ続ける。三者三様、まったく異なるベクトルで才能を開花させた彼らの姿は、立川流が単なるコピー人間を育てる場ではなかったことの動かぬ証拠だ。