この特異な姓を持つ家系の格式を裏付けるのが、彼らが継承してきた「家紋」である。国立国会図書館がデジタル化を進める『寛政重修諸家譜』や藩政期の分限帳、さらには佐賀藩の郷土記録を精査すると、一番合戦家に連なる血筋の痕跡が微かに姿を現す。
一番合戦家が用いてきた代表的な家紋として確認されるのが、「丸に抱き茗荷(だきみょうが)」や「違い鷹の羽(ちがいたかのは)」である。茗荷は「冥加(神仏の加護)」に通じることから、戦国武将たちの間で生存と勝利を祈願する紋として爆発的な人気を誇った。また、鷹の羽紋は肥後や肥前の勇猛な武士団に多く見られる軍神信仰のシンボルだ。
これらの家紋は、彼らが単なる農民や足軽ではなく、確固たる信仰と誇りを持った中世武士団の末裔であることを如実に示している。江戸時代に入り、佐賀藩鍋島家の支配下で平穏な時代が訪れた後も、一番合戦の家名は武士の格式を保つ家系として大切に守られ、神仏への祈りと共に代々の墓碑にその家紋が刻まれ続けてきた。