1960年3月、日本中を釘付けにした結婚会見。並み居る記者団を前に、当時21歳だった彼女は迷いなく言い放った。「私の選んだ人ですから」。お見合い結婚が当然視され、ましてや皇族の縁談には国家的な思惑や名家の格式が最優先されていた時代である。宮内庁が敷いたレールではなく、学習院大学の同窓であり旧薩摩藩主家の血を引く島津久永との純粋な絆を選び取ったその言葉は、列島に電撃のような衝撃を与えた。
結婚に伴う皇室離脱は、単なる身分の変更ではなかった。それは、自活する一個の市民として生きるという宣誓に他ならない。宮内庁による過度な干渉や形式美を重んじる旧弊を退け、民間人としての一歩を踏み出した彼女の決断は、昭和天皇にとっても最愛の末娘の自立を見守る大きな転換点となった。台所に立ち、スーパーで買い物をし、夫の給与の範囲で生活をやりくりする。そんな当たり前の日常を勝ち取るために、彼女は静かな、しかし決して譲らない戦いを挑み続けたのだ。