思いやりや共生の精神を体現した「失われた日本の美徳」として称賛された江戸しぐさ。だが、歴史学者による徹底的な検証を経た現在、それは江戸時代に実在した慣習ではなく、昭和末期から平成にかけて人為的に構築された「偽史」であるとの結論が学界の定説となっている。
江戸の町民文化を彩る口伝の知恵と喧伝されたエピソードの数々は、同時代の文献や古文書といった一次史料に一切登場しない。それにもかかわらず、道徳心や公共マナーの向上という耳ざわりの良い大義名分を背負ったことで、真偽の検証が置き去りにされたまま公的な言説空間へと浸透していった。心地よい物語がいかにして事実の座を奪い取ったのか。その背後には、失われた古き良き日本像を渇望する現代社会の集団心理が横たわっている。