彼のキャリアを語る上で欠かせないのが、若き日に過ごしたシアトル・マリナーズでの時代だ。移籍当初は爆発的な球速を持ちながらも制球難に苦しみ、四球から自滅する場面も少なくなかった。しかし、殿堂入り投手ノーラン・ライアンからの助言や指導陣との泥臭いフォーム改修によって、一気にその才能が開花した。
ノーヒットノーランの達成、そして1995年のア・リーグ地区シリーズで見せた救援登板など、マリナーズを初の地区優勝へと導いた快投は今も伝説として語り継がれている。荒削りな大砲から「精密な破壊兵器」へと変貌を遂げたシアトルでの日々こそが、後の無敵の快進撃を支える基盤となった。