明治維新直後、群馬の行政拠点はまさに激動の渦中にあった。当初は城下町としての軍事・交通の要衝であった高崎市に県庁が置かれたものの、兵部省による高崎城の軍事接収などを受け、わずか数年で前橋への移転を余儀なくされる。当時の高崎は中山道が通る宿場町として栄華を誇っていたが、前橋にはそれを凌駕する強力な武器があった。世界市場を席巻していた「生糸」の富である。
この前橋誘致決定打を放った人物こそ、初代群馬県令(現在の知事)に就任した楫取素彦だ。幕末の志士・吉田松陰の妹婿としても知られる楫取は、前橋の豪商たちによる熱狂的な寄付活動と近代化への情熱に呼応した。前橋の商人たちは巨額の建設資金を自ら拠出し、行政の中心地を我が街へ引き戻すことに成功する。こうして1881年、都道府県庁所在地としての前橋市の地位が恒久的に確立されたのである。