弘道会の歴史を語る上で、二人の巨頭の存在を避けて通ることはできない。初代会長である司忍(現・六代目山口組組長)と、二代目会長の筆頭として組織を絶対的な存在へと引き上げた高山清司(現・六代目山口組若頭)である。
司忍が蒔いた強固な組織規律の種は、高山清司の手腕によって結実した。高山が主導した「弘道会方式」と呼ばれる組織運営は、暴力団社会の常識を覆すものだった。徹底した情報統制。警察に対する「三ない運動(会わない、入れない、喋らない)」。そして、傘下組織からの徹底した吸い上げと信賞必罰。これらが弘道会を圧倒的な精鋭集団へと育て上げた。
2005年、司忍が六代目山口組組長に就任したことで、山口組の権力中枢は神戸から名古屋へと決定的にシフトした。この「名古屋支配」の確立こそが、後の大分裂抗争の引き金となったことは周知の事実である。しかし、歴代会長が築き上げた鉄の規律と権力集中システムは、どれほど捜査当局から圧力を受けようとも揺らぐことはなかった。