ロンドンに鎮座する国王ジョージ3世とイギリス議会は、植民地側の激しい抵抗を単なる「反乱の兆候」と見なし、一切の妥協を拒絶した。七年戦争によって膨らんだ巨額の国家債務を補填するため、植民地住民にも然るべき財政的負担を求めるのは当然の権利であると英国側は信じて疑わなかった。
だが、議会に自身の代表を送る権利を持たない植民地の人々にとって、本国の一方的な課税は暴政そのものだった。両者の溝は、議論を重ねるごとに埋まるどころか修復不可能なレベルへと深まっていった。絶対的な王権の象徴である国王の頑なな態度が、民衆の怒りに油を注ぐ格好となった。