1980年代後半から1990年代にかけて、舛添氏の名を日本全国に知らしめたのが深夜の討論番組『朝まで生テレビ!』や『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)への出演です。当時の深夜番組において、複雑な国際政治や防衛論争を明快かつ歯切れの良い論理で解説する姿は、視聴者に強烈なインパクトを与えました。
保守・リベラルを問わず論客たちを論破していくアグレッシブな姿勢は「舛添節」として支持を集め、バラエティ番組やコメンテーターとしても引っ張りだこの人気タレント教授となります。1989年に東大を退官し、舛添政治経済研究所を設立して完全なフリーランスの国際政治学者へと転身しました。
この知名度と国民的人気を背景に、2001年の第19回参議院議員通常選挙に自民党公認で出馬し、全国最多得票となる約158万票を獲得してトップ当選を果たします。小泉純一郎政権や安倍晋三政権、福田康夫政権、麻生太郎政権下で厚生労働大臣を歴任。「消えた年金問題」や新型インフルエンザ対応で陣頭指揮を執り、歯に衣着せぬリーダーシップで内閣支持率を支える看板閣僚として脚光を浴びました。