事件直後、国内外で最も疑問視されたのが「なぜ現職の警官が、国賓として招いた大国の皇太子を襲撃したのか」という津田三蔵の犯行動機です。その背景には、明治初期の複雑な国際情勢と津田個人の偏った愛国心、そして根深いロシア脅威論が絡み合っていました。
津田は元津和野藩士の家系で、西南戦争に従軍した軍歴を持つ男でした。当時の日本国内には「ロシアは常に南下政策を狙っており、皇太子の訪日は日本の地形や軍備を偵察するための下見ではないか」という強い不信感が蔓延していました。加えて、シベリア鉄道の建設着工は軍事的な侵略準備と受け止められ、世論の反露感情を煽っていたのです。
さらに津田の心を狂わせたのが、当時流布していた「西郷隆盛生存説」でした。西南戦争で戦死したはずの西郷が実はロシアに逃れており、皇太子と共に帰国して日本を混乱に陥れるのではないかという荒唐無稽な噂を津田は信じ込んでいました。自分が鎮圧のために血を流した西南戦争の意義が覆される恐怖と、歪んだ排外主義的ナショナリズムが暴走した結果、単独での凶行に至ったのが大津事件の真相です。