1996年オフ、清原がFA宣言を経て読売ジャイアンツへ移籍したことで、二人は11年ぶりに同じユニフォームを着ることになる。しかし、それは高校時代のような無邪気な共闘ではなかった。巨人のプレッシャー、度重なる怪我、成績への批判。チームの中心でありながら、互いに背負うものが大きすぎた二人の間には、埋まらない距離感が漂い続けた。
現役引退後、二人の人生はさらに明暗を分けた。桑田は早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、ピッツバーグ・パイレーツでのメジャー挑戦を経て指導者の道へ進み、理論派としての地位を確立。対して清原は、現役時代の肉体疲労と精神的重圧から道を踏み外し、球界から一時完全に孤立する。
どん底に突き落とされた清原に対し、周囲が距離を置くなかで、誰よりも早く心配のメッセージを送り、更生への歩みを静かに見守り続けたのが桑田だった。華やかな栄光の記憶だけでなく、泥濘に足を取られた盟友の背中をも見捨てない桑田の姿勢が、途切れかけていた二人の糸を再び手繰り寄せた。