母親による徹底的な支配は、加藤智大の幼少期に一時的な「成功」をもたらしました。青森市立佃中学校時代、加藤は成績優秀で学年トップクラスを維持し、生徒会長を務めるなど、まさに母親が理想とした「優等生」を演じ切っていたのです。
しかし、その張り子の虎のようなプライドは、県内屈指の進学校である青森県立青森高校への進学を機に一気に崩壊します。周囲には自分以上に優秀な生徒が集まり、加藤の成績は学年下位へと急落しました。これまで「成績優秀であること」のみで母親から存在価値を認められていた加藤にとって、挫折は自身の全否定を意味していました。
母親は成績が落ちた加藤に対し、激しい失望と叱責を浴びせました。この瞬間、親子関係は完全に修復不可能な断絶を迎えます。加藤は大学進学を諦め、中岐阜短期大学(現・中日本自動車短期大学)へ進学。自動車整備士の資格を取得するものの、定職に就くことができず、派遣社員や期間工として各地を転々とするワーキングプアの生活へ転落していきました。
裁判審理において最大の焦点となったのは、「秋葉原事件の直接的な動機に母親の影響がどこまで関与していたか」という点です。弁護側は「母親の異常な虐待によって人格を歪められ、心神耗弱状態にあった」と主張しました。
確かに、犯行の直接の引き金となったのは、孤立を深めていたネット掲示板での「なりすまし荒らし」や居場所の喪失でした。しかし、なぜネットの掲示板ひとつにそこまで執着し、自分を無視した世界に復讐しようとしたのか。その根底には、「ありのままの自分を愛された経験がない」「他者からの承認がなければ生きている価値がない」という、母親のスパルタ教育によって植え付けられた根深い自己肯定感の欠如が存在していたことは、精神鑑定や判決理由でも明確に指摘されています。