加藤智大元死刑囚の生い立ちを語る上で避けて通れないのが、母による異常なまでの「しつけ」という名の暴力です。法廷での本人証言および母親自身の供述調書によって明かされた家庭内の光景は、常人の想像を絶する過酷なものでした。
特に法廷を凍りつかせたのが、「新聞紙の上での食事」に関するエピソードです。食事中にこぼしたり、母親の意に沿わない食べ方をしたりすると激高した母親は、配膳された茶碗や皿からご飯とおかずを床に敷いた新聞紙の上にぶちまけ、「そこから拾って食え」と命じました。加藤元死刑囚は床に這いつくばり、涙を流しながら新聞紙についた米粒をかき集めて食べたといいます。
母親による支配と体罰のバリエーションはこれにとどまりませんでした。
- 九九の暗唱失敗による溺水:算数の九九を間違えると、服を着たまま風呂場に連行され、浴槽の湯に頭を沈められた。
- 真冬の屋外締め出し:母親の機嫌を損ねると、青森の極寒の真冬にパンツ一丁で玄関から閉め出され、長時間雪の中に放置された。
- 宿題・作文の完全検閲:作文の宿題では、母親が納得する表現になるまで何度も原稿用紙を破り捨てられ、母親が口述する通りの文章を書かされた。
- 友達付き合いの遮断:テレビ番組や漫画は厳格に制限され、放課後に友人と遊ぶことも許されず、常に母親の監視下で勉強を強いられた。
母親は地元の名士的な意識が強く、「誰に見せても恥ずかしくない完璧な息子」に育て上げることに狂奔していました。その歪んだ情熱により、加藤元死刑囚は青森県内屈指の進学校である青森県立八戸高校への合格を果たします。しかし、この進学こそが破滅の序章となりました。天才的な秀才が集まる高校で成績が下位に低迷すると、母親の態度は急変し、激しい失望と罵倒を浴びせるようになったのです。