劇団ひとりの育ちを語る上で欠かせないのが、一見すると特権的にも見えるユニークな家庭環境です。実父は国際線のパイロット、実母は元客室乗務員(CA)という、絵に描いたような航空一家に生まれました。小学2年生から5年生までの約3年間、父親の仕事の都合によりアメリカ・アラスカ州アンカレッジで暮らすという、当時の日本人児童としては極めて珍しい海外体験を持っています。
しかし、このアラスカ生活は彼にとって決して華麗な帰国子女ライフではありませんでした。極寒の大地で言葉も通じない現地の小学校に放り込まれ、人種の違いや文化の壁に直面。白银の世界の中で、自室に籠もって想像の世界に浸る時間が長かったと述懐しています。この時期に培われた「周囲から隔絶された孤独感」と「頭の中で仮想のドラマを作り上げる妄想力」が、のちの創作活動における強固な土台となったことは想像に難くありません。
帰国後、日本社会の同調圧力にも馴染めず、高校を一度中退して定時制へと再進学。そして2000年、23歳の時に迎えたコンビ「スープレックス」の解散によって、人生最大の暗黒期へと転落します。相方が芸人を引退し、一人取り残された彼は、住まいのアパートの家賃すら払えない極貧生活へ追い込まれました。
消費者金融からの借金が重なり、日払いの肉体労働で食いつなぐ日々。自室の万年床で天井を見つめながら、「自分は社会の誰からも必要とされていない」という絶望的な無力感に苛まれていた当時の様子は、後年の手記でも赤裸々に綴られています。芸名「劇団ひとり」は、「一人になっても劇団のように多様な人間を演じ分ける」という覚悟と同時に、「一人きりで舞台に立ち続けるしかない」という孤独の裏返しでもあったのです。