ネット上の情報やSNSの投稿では、「本場イタリアの絶望パスタを日本でアレンジしたのがホームズパスタである」という言説が散見されますが、これは食文化の文脈において重大な誤解を孕んでいます。イタリア本国における「絶望」の概念と、日本で爆発的人気を誇る絶望パスタには、真逆と言っても過言ではない決定的な構造的乖離が存在します。
イタリア語において「絶望のパスタ」を直訳すると「Pasta della disperazione(パスタ・デッラ・ディスペラツィオーネ)」となります。しかし、現地のトラットリアや一般家庭でこの言葉が指し示すものは、トマトクリームでもキノコの煮込みでもなく、日本でおなじみの「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」です。南イタリアを中心に、この極限までシンプルなオイルパスタは別名「Pasta dei poveri(貧乏人のパスタ)」とも呼ばれます。
イタリアにおける絶望の原義は、「蓄えた食材が底をつき、買い物に行く金すらなく、絶望の淵に立たされていても、台所に転がっているニンニク1片、オリーブオイル数滴、乾燥唐辛子1本、塩さえあれば作れてしまう」というミニマリズムの極致にあります。つまり、何もない絶望状態を救う最低限の糧という意味合いでした。
ところが、日本の飲食店で供される絶望パスタはどうでしょうか。山盛りのキノコ、すりつぶした黒オリーブ、濃厚な生クリーム、トマトソース、たっぷりの粉チーズ、そして隠し味のブイヨンに至るまで、皿の中は「具材の過剰な豊かさ」で埋め尽くされています。イタリア本来の「極貧・欠如の絶望」から、日本の厨房における「過剰な仕込みとカロリーの背徳的絶望」へと、名前の看板だけを引き継ぎながら全く別の贅沢料理へとガラパゴス進化した点こそ、日本の外食文化が誇る奇跡的なミスマッチと言えます。