マーガリンが「健康に深刻な悪影響を及ぼす」と激しく指弾されるようになった発端は、製造工程で意図せず副産物として発生する工業由来のトランス脂肪酸にあります。植物油などの液状油脂に水素を添加して常温で半固形化させる過程(部分水素添加)において、不飽和脂肪酸の炭素結合が変化し、天然には極めて少ない構造を持つトランス脂肪酸が大量に生成されていました。
1990年代以降の栄養疫学研究により、この工業的トランス脂肪酸を過剰に摂取すると、血中の悪玉(LDL)コレステロールを増加させる一方で善玉(HDL)コレステロールを低下させ、冠動脈性心疾患(心筋梗塞や狭心症)の発症リスクを有意に高めることが確固たるエビデンスとして証明されたのです。世界保健機関(WHO)は、総エネルギー摂取量に占めるトランス脂肪酸の割合を1%未満(成人で1日約2g未満)に抑えるよう厳格なガイドラインを提示しました。
こうした科学的リスクがセンセーショナルに報じられる過程で、一般の言説空間にはいくつかの極端な都市伝説が派生していきました。その筆頭が「マーガリンは食べるプラスチックである」「アリも寄り付かない猛毒」「発がん性物質の塊」という言説です。
科学的見地から検証すると、油分子とプラスチック(高分子合成樹脂)が炭素・水素・酸素から成る鎖状構造である点は共通していますが、化学的性質、分子量、生体内での代謝経路は全くの別物です。生化学の基本構造を曲解した「炭素の並びが似ているからプラスチックと同じ」という短絡的な比喩が、恐怖を煽るネット言説として一人歩きしたに過ぎません。また、トランス脂肪酸の主たる健康リスクは動脈硬化を中心とする循環器系疾患であり、日常的な食事摂取レベルにおいて直接的な発がん性を裏付ける査読付きの疫学的証拠は存在しません。