この地に茶苑を築いた中心人物こそ、三井財閥の幹部であり近代茶道界の巨人として知られる高橋箒庵だ。彼は明治から大正、昭和初期にかけて、逸散しそうになっていた日本の古美術を守り抜き、数多くの茶会を主宰した文化人でもあった。この真鶴の地を選び抜き、自然の傾斜や巨石を巧みに活かした空間を構築した彼の眼力には脱帽するほかない。
さらに、横浜の三溪園を築いた実業家・原三溪とも深い交流があった高橋箒庵は、互いの美学を戦わせながら、この茶苑の構想を温めたとされる。政財界のトップに君臨しながらも、茶の湯の精神である「侘び寂び」を極限まで追求した彼らが込めた情熱は、茶室の梁の曲線や柱の削り跡に今なお色濃く残されている。歴史ファンにとって、これらの建築の背景に隠されたエピソードを紐解くこと自体が、最高のマニアックな体験となるはずだ。