名刹・大龍寺の全貌を追う!子規の墓所から再度山・だるま供養まで徹底解剖を徹底追究! 知っておきたい 情報と解説を凝縮して配信します。

東京都北区田端の閑静な住宅街に佇む大龍寺は、江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615年)に創建されたと伝わる真言宗霊雲寺派の古刹です。本尊は不動明王を祀り、江戸期には修験寺院としての性格を帯びていました。

この寺院の名を不朽のものとしたのは、明治の俳句・短歌革新の旗手である正岡子規(1867〜1902年)の墓所が存在することにあります。結核と脊椎カリエスに侵されながらも、名著『病牀六尺』や『墨汁一滴』を執筆し、34歳で夭折した子規は、生前この田端の地を愛し、大龍寺の静けさを自らの終焉の地として望んだと伝えられています。

境内奥の墓地には、子規の墓碑とともに母・八重、妹・律の墓が並び、墓石の前には子規が好んだヘチマにちなむ句碑が刻まれています。子規の命日である9月19日(糸瓜忌/へちま忌)には、全国から多くの文学愛好家や研究者が献花に訪れます。

さらに大龍寺には、芥川龍之介の師である室生犀星の足跡や、童謡作詞家として名高いサトウハチロー、浮世絵師の酒井抱一ゆかりの墓碑も点在しています。境内を歩くだけで近代日本文学・芸術の潮流を肌で感じられる、都内でも極めて貴重な文化空間です。