「嫐るの語源とうわなり打ち」の関係性を知ると、この漢字に対する認識は一変します。「嫐」という漢字は、単に「女が男を取り合っていがみ合う」という抽象的な情景だけを指すものではありません。鎌倉時代から江戸時代にかけて、日本社会に実際に存在した凄絶な習俗「後妻打ち(うわなりうち)」そのものを象徴する文字だからです。
歴史書『吾妻鏡』の寿永元年(1182年)11月10日の条には、日本史上で最も有名な「うわなり打ち」の実例が記録されています。源頼朝の正妻である北条政子が、頼朝の愛妾であった「亀の前」の居宅を、配下の武士を使って徹底的に破壊させた「亀の前の変」です。
当時の日本は、平安時代の妻問婚(通い婚)から武家社会の一夫一婦制へと移行する過渡期にありました。夫が先妻(前妻)と離縁し、後妻(うわなり=「後妻」の古語)を迎えた場合、先妻には「一定期間内に後妻の家へ押し掛け、器物を破壊し鬱憤を晴らす権利」が慣習法的に認められていたのです。先妻は女友達や親族の女性たちを組織し、竹杖や棒を手に後妻宅へ乱入。障子を破り、茶碗を叩き割り、後妻の髪を掴んで引きずり回しました。
この儀礼において、後妻側の女性たちも武装して応戦し、男たちはただ遠巻きに手をこまねいて見ているしかなかったと伝えられます。「女+男+女」という配置は、まさに無力な男の周囲で二つの女性陣営が火花を散らす地獄絵図をそのまま文字に焼き付けたものにほかなりません。嫉妬と暴虐が正当化された歴史的儀礼の残滓が、「嫐る」という漢字に宿っているのです。