犬が人の顔、とりわけ口の周囲を執拗になめる行動には、オオカミを祖先とするイヌ科動物特有の進化プロセスと発達心理が深く関係しています。代表的な5つの要因を分析します。
第一に挙げられるのが子犬期の名残である食餌要求です。野生のオオカミや野良犬の群れでは、狩りから戻った成犬の口元を子犬がなめることで、胃の中に蓄えた獲物を吐き戻させて食べる習性があります。家庭犬として何世代も交配が進んだ現在でもこの原始的本能は色濃く残っており、飼い主を「安心できる養育者」と認識しているからこそ口元を集中的になめようとするのです。
第二に、最も広く知られている犬が飼い主をなめる愛情表現と親愛の情です。親しい個体同士でグルーミングを行うことで、犬の脳内では「オキシトシン(絆形成ホルモン)」が分泌され、精神的な充足感を得ています。飼い主の帰宅時に尾を振りながら顔をなめるのは、再会を喜ぶ純粋な親愛のサインといえます。
第三の要因は、相手への敵意がないことを示す犬の服従サインとカーミングシグナルです。自分よりも優位な立場にある相手や、少し不機嫌そうに見える相手に対して「私はあなたに敵意はありません、落ち着いてください」と伝えるため、下から見上げるようにして口元を控えめになめる行動をとります。
第四に見落とせないのが情報収集と味覚・嗅覚への興味です。犬の嗅覚受容体は人間の数千倍から数万倍に及びます。直前に飼い主が食べた食事の匂いや、汗に含まれる塩分・皮脂の微細な変化を舐めることで直接確認し、飼い主の行動ログや体調変化を読み取っています。
そして第五が、犬のストレスサインとしての舐め行動です。環境の変化、運動不足、飼い主とのコミュニケーション不足による葛藤を抱えている場合、自分自身の緊張を和らげる「転位行動(自己鎮静行動)」として、目の前にある飼い主の皮膚を過度になめ続けることがあります。