日本代表が初出場を果たした記念すべき大舞台で、なぜ絶対的エースであった三浦知良がメンバーから外されるに至ったのか。その背景には、当時のチーム状況と複数の複合的な要素が絡み合っていました。
第一の理由は、慢性的なコンディション不良とフィジカルの低下です。アジア最終予選の過密日程と激しいプレッシャーの中でカズは肉体を酷使し、スイス合宿の段階でも本来の切れ味や爆発的な推進力を取り戻せていませんでした。岡田監督が掲げる「前線からのハイプレスと連動したプレッシングサッカー」を90分間やり切るフィジカルコンディションに達していないと判断されたのです。
第二の理由は、戦術的な交代枠の制限と新戦力の台頭です。当時のフランスW杯登録メンバー枠は現在よりも少ない「22名」。前線のストライカーには、ポストプレーと守備強度に優れた城彰二、驚異的な得点感覚を誇る中山雅史、高さとキープ力を持つ呂比須ワグナーが選出されました。途中出場から流れを変える「スーパーサブ」としての起用も検討されたものの、カズのプレースタイルや存在感を考慮すると、ベンチに置くこと自体がチームの統率に影響を与えかねないという指揮官の苦渋の選択がありました。
第三の理由は、加茂周監督の電撃解任に伴うチームコンセプトの転換です。予選途中でヘッドコーチから急遽昇格した岡田監督は、本大会で世界の強豪(アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ)を相手に勝ち点を奪うため、徹底したリアクションと守備重視のリアリズムへと舵を切りました。その過程で「カズ中心のチーム作り」からの脱却が決定的となったのです。