食道がんの手術は、消化器外科領域の中でも最も侵襲(体への負担)が大きく難度の高い手術の一つとされています。食道は頸部(首)、胸部(胸)、腹部の3つの領域にまたがっており、心臓や大動脈、肺、気管といった重要臓器が密集する狭い空間を通り抜けているためです。
中でもボーカリストにとって致命的リスクとなるのが、食道に沿って走る「反回神経(はんかいしんけい)」の損傷です。反回神経は声帯の開閉運動をコントロールする神経であり、手術操作中にこの神経が少しでも引っ張られたり切断されたりすると、「反回神経麻痺」が起こります。結果として声がかすれる「嗄声(させい)」が生じ、二度と以前のような歌声を出すことができなくなる恐れがありました。
宇田川医師が選択した手術方法は、胸腔鏡や開胸・開腹を組み合わせた「食道亜全摘術および胃管再建術」でした。病変のある食道の大部分を切除し、胃を細長く筒状に加工して首まで引き上げ、残った頸部食道とつなぎ合わせるという大手術です。手術時間は約8時間にも及びました。
宇田川医師は、がんの根治に不可欠な周囲のリンパ節郭清(切除)をミリ単位で行いながら、反回神経を肉眼および微細機器で注意深く確認し、神経に熱ダメージや物理的牽引を与えないよう極限の集中力で温存しました。この卓越した外科技術によって、声帯機能は100%保たれ、術後の早期リハビリテーションへとスムーズにつなげることができたのです。