日本サッカーの歴史において、松田直樹という男の存在感は唯一無二だった。群馬県立前橋育英高校から1995年に名門・横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)へ入団。デビュー直後から物怖じしない強烈なパーソナリティと卓越した対人守備、抜群のカバーリング能力でレギュラーを奪取し、瞬く間にチームの顔となった。
彼の名を世界に轟かせたのが、フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表での活躍だ。2002 FIFAワールドカップにおいて、指揮官が導入した高度な戦術「フラットスリー」の右ストッパーとして絶対的な信頼を獲得。ベルギー、ロシア、チュニジアとの激闘を制し、日本サッカー史上初となるワールドカップ決勝トーナメント進出の原動力となった。ピッチ上で味方を怒鳴り散らして鼓舞し、体を投げ出してゴールを死守する姿は、まさに日本代表の魂そのものだった。
横浜F・マリノスでは2003年、2004年のJリーグ連覇に大きく貢献。クラブの象徴として16シーズンを戦い抜いたが、2010年オフにまさかの戦力外通告を受ける。それでも男の情熱は消えなかった。「サッカーが好きだ、まだやれる」という純粋な渇望を胸に選んだ新天地が、当時地域リーグからJリーグ昇格を目指して這い上がっていた松本山雅FCだった。プロサッカー選手としての誇りを胸に地方クラブの熱狂を牽引していた矢先の悲劇だった。