「王水が最強の酸だから溶ける」という理解は、化学的には正確ではありません。酸としての強さ(酸解離定数)だけで言えば、硫酸や超強酸(フルオロスルホン酸など)の方が遥かに強力です。王水が金を溶かせる真の理由は、「酸化作用」と「塩化物イオンによる錯イオン形成」の同時連動にあります。
まず、濃塩酸と濃硝酸を混合すると、以下の反応によって塩化ニトロシル(NOCl)と遊離塩素(Cl2)が発生します。
HNO3 + 3HCl → NOCl + Cl2 + 2H2O
金(Au)に対する溶解反応では、硝酸の強力な酸化力によって金原子から電子が奪われて金イオン(Au3+)が生じます。しかし、通常なら酸化還元電位の関係でこの反応はすぐに平衡に達し、溶解はストップしてしまいます。
ここで決定的な役割を果たすのが、塩酸由来の多量に存在する塩化物イオン(Cl-)です。発生した金イオンが塩化物イオンと瞬時に結びつき、極めて安定なテトラクロリド金(III)酸イオン([AuCl4]-)という錯イオンに変化します。
Au + HNO3 + 4HCl → H[AuCl4] + NO + 2H2O
水溶液中から遊離の金イオンが錯体化によって次々と取り除かれるため、ルシャトリエの原理に従って金の酸化反応が右方向へと強制的に進行し続けます。この「酸化」と「錯イオン化」の波状攻撃こそが、金が溶け去る科学的メカニズムです。
同様に、耐食性に優れた白金(Pt)も王水中で酸化され、安定なヘキサクロリド白金(IV)酸イオン([PtCl6]2-)を形成して溶解します。
3Pt + 4HNO3 + 18HCl → 3H2[PtCl6] + 4NO + 8H2O