四字熟語としての「呉越同舟」は、「仲の悪い者同士や敵味方が同じ場所・境遇に居合わせること」、あるいは「反目し合いながらも、共通の利害や危機の克服のために協力し合うこと」を意味します。この言葉の深みを理解するには、まず古代中国の春秋時代に繰り広げられた「呉国」と「越国」の壮絶な抗争史を知る必要があります。
中国の春秋時代末期(紀元前5世紀頃)、長江下流域に位置していた呉(現在の江蘇省付近)と越(現在の浙江省付近)は、領土を接するライバル国家でした。両国の憎しみは尋常ではなく、呉王闔閭(こうりょ)が越王勾践(こうせん)に討たれると、その息子である夫差(ふさ)は薪の上に寝て父の無念を思い出し復讐を誓いました。その後、夫差は越を破って勾践を捕虜としますが、勾践は苦い肝を嘗めて屈辱に耐え、20余年の歳月をかけて呉を滅亡へと追い込みました。これが有名な故事成語「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の由来です。
このように、呉の人々と越の人々は互いの顔を見るだけで刃傷沙汰になりかねないほどの積年の仇敵でした。「呉越」という言葉自体が「不倶戴天の敵」の代名詞として使われていた時代背景こそが、この成語の土台となっています。