沢田研二さんと伊藤エミさんの離婚が成立したのは1987年1月。当時8歳だった一人氏の親権は母親である伊藤エミさんが持ちました。
この離婚に際して日本中を驚かせたのが、沢田研二さんが支払ったとされる破格の慰謝料「18億1800万円」です。東京都世田谷区中町の延床面積の広い豪邸、伊豆の別荘、マルサの査定をクリアした金融資産や会員権など、沢田さんがそれまで築き上げた財産のほぼすべてをエミさんと息子に譲り渡したと報じられました。身一つで家を出た沢田さんの決断は、家庭を壊してしまったことへの最大限の贖罪でもありました。
しかし、潤沢な資金があったとはいえ、少年の心に空いた穴は容易には埋まりませんでした。離婚以降、沢田研二さんと一人氏の接触は厳しく断たれ、その絶縁期間は約25年に及びました。少年時代の澤田一人氏は、父親の姿をテレビ画面の歌番組やコンサート映像を通してしか確認することができなかったのです。
この厚い氷を溶かしたのが、2012年6月の母・伊藤エミさんの訃報でした。享年71歳、がんとの過酷な闘病の末の別れでした。
闘病中のエミさんは自らの命の限界を悟った際、一人氏に対して「父親に連絡を取りなさい」「一度きちんと会いなさい」という趣旨の手紙とメッセージを遺していたと報じられています。母の深い慈愛と後押しを受け、一人氏は意を決して父親である沢田研二さんへ連絡を入れました。病院、そして葬儀の場を経て、25年の空白を超えた父と息子の再会が実現した瞬間でした。