東映フライヤーズでキャリアをスタートさせた張本勲氏は、卓越した打撃技術と強烈な闘争心でヒットを量産した。首位打者を獲得すること実に7回。広角に打ち分ける打撃スタイルは「安打製造機」と称され、相手投手に恐怖を与え続けた。そして1976年、彼は大きな転機を迎える。読売ジャイアンツへの移籍だ。
巨人軍に移籍した張本氏は、世界の王貞治氏とともに強力な打線を形成。チームの主軸として輝かしい実績を残した。1980年には前人未到のNPB通算3085安打を達成。この打撃記録は、メジャーリーグに挑戦したイチロー氏の報道の中でも、日本プロ野球の最高峰記録として燦然と輝き続けた。後に日本プロ野球名球会の創設や発展にも尽力し、球界に不滅の功績を刻み込んだ。