昭和の伝説スター佐田啓二の早すぎる死と事故の真相|中井貴一への血脈の主要なニュースを丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。

日本中を深い悲痛と衝撃に包んだ事故が発生したのは、東京オリンピック開幕を目前に控えた1964年(昭和39年)8月17日午前6時30分頃のことでした。当時、NHKのドラマ『虹の設計』の主演を務めていた佐田啓二は、避暑と静養を兼ねて滞在していた長野県茅野市・蓼科高原の別荘から、撮影現場である東京・渋谷のNHKスタジオへ向かう帰途にありました。

事故現場となったのは、山梨県韮崎市塩崎の国道20号線(甲州街道)に架かる塩崎橋付近です。佐田啓二が後部座席に乗車していた専属運転手付きの乗用車(トヨペット・クラウン)は、早朝の激しい雨で視界が悪化していた中、前方を走行する小型ライトバンを追い越そうと加速。その際、濡れた路面でスリップしてコントロールを失い、道路脇の標識ポストを薙ぎ倒した末に、橋のコンクリート欄干へ激しい速度で衝突しました。

車体は大破し、後部座席で仮眠をとっていた佐田啓二は前の座席や車体フレームに猛烈な勢いで体を打ち付けられました。直ちに山梨県立中央病院へ救急搬送されたものの、頭蓋骨骨折および脳挫傷、右肺損傷による出血性ショックにより、同日午前11時すぎに息を引き取りました。37歳と8か月という、役者としても人間としても成熟期を迎えていた矢先の惨事でした。