中村嘉葎雄と萬屋錦之介の兄弟関係は、単なる肉親の枠を超えたライバルであり、盟友でした。嘉葎雄は1955年、16歳のときに映画『父子鷹』で兄・錦之介演じる勝麟太郎(勝海舟)の少年時代役としてスクリーンデビューを飾ります。錦之介の圧倒的なスター性に導かれるように東映へ入社した嘉葎雄でしたが、甘いマスクのアイドル的人気にとどまることを自ら拒絶しました。
兄・錦之介が豪快で華やかな「陽のスター」として時代劇の頂点に君臨したのに対し、弟・嘉葎雄は内田吐夢監督の『飢餓海峡』や今井正監督の『米』など、人間の業や暗部をえぐり出すリアリズム演技へと傾倒。長谷川和彦監督の伝説的映画『青春の殺人者』(1976年)では、キネマ旬報助演男優賞やブルーリボン賞助演男優賞を獲得し、日本屈指の演技派バイプレイヤーとしての地位を決定づけました。
映画関係者の回想録によると、嘉葎雄は常に「兄貴の七光りと言われるのが死ぬほど嫌だった」と語り、撮影現場では兄の威光に一切頼らない徹底したストイシズムを貫いていたといいます。しかし、プライベートにおける兄弟の情愛は深く、錦之介が立ち上げた「中村プロダクション」の崩壊や巨額の負債トラブルに見舞われた際にも、陰ながら兄を気遣い続けました。