そもそも、このような難解極まりない読みが、公的な手続きにおいてなぜ受理されたのだろうか。時計の針を1875年(明治8年)の「平民苗字必称義務令」まで巻き戻してみよう。
当時の日本国民は全員が名字を名乗ることを義務付けられたが、役場の戸籍担当窓口には突如として無数の名字が持ち込まれた。漢字の選定や読み仮名の登録において、地域の有力者や寺の僧侶が相談に乗るケースも多かった。法務省民事局の前身にあたる司法省の通達や当時の記録を国立国会図書館所蔵の公文書群で精査すると、現場の役人が頭を抱えながらも、住民の申請した奇抜な名乗りを柔軟に台帳へ書き留めていった生々しい痕跡が見て取れる。
文字表記と発音の乖離を許容する大らかな土壌があったからこそ、「十」と書いて「つなし」と読ませる唯一無二の公認戸籍が誕生したのだ。