時計の針を2010年1月まで巻き戻します。ツッコミ担当のアンタッチャブル柴田英嗣が、突如として無期限の芸能活動休止を発表しました。当時、所属事務所のプロダクション人力舎から出された公式発表は「体調不良および女性トラブルを巡る事情聴取」という曖昧なものであり、メディアは連日センセーショナルに書き立てました。
警察の事情聴取を受けたこと自体は後に冤罪・潔白であることが証明されたものの、一連の女性問題やプライベートでの混乱に対するペナルティとして、事務所は柴田に約1年間の謹慎処分を下しました。これが世に言うアンタッチャブル活動休止の真相の引き金です。
しかし、最大の謎は「柴田が2011年に復帰したにもかかわらず、なぜそこからさらに8年以上もコンビが揃わなかったのか」という点にあります。業界関係者や熱心なお笑いファンの間では「山崎が柴田を見捨てた」「修復不可能な確執が生じた」という憶測が独り歩きしました。
だが、その裏にあったのは極めて冷徹かつ情に厚いアンタッチャブル山崎弘也のプロフェッショナルとしての矜持でした。柴田の休止中、山崎は『ロンドンハーツ』をはじめとする多数の番組でピン芸人「ザキヤマ」としての確固たるポジションを築き上げ、テレビ界に欠かせないスターへと駆け上がっていました。
山崎が提示した復活の条件はただ一つ、「柴田がピン芸人として元のポジションまで自力で這い上がってくること」でした。山崎の知名度や勢いに乗っかる形でコンビを再開させれば、世間からは「山崎が問題を起こした相方を救済した」と映り、柴田は生涯その陰に隠れてしまいます。柴田が単独で番組に呼ばれ、MCやひな壇で結果を残せるようになるまで待つ――これこそが、10年間共演しなかった決定的な理由でした。