「画狂老人卍」なぜなんJで大人気?葛飾北斎の晩年と中二病ネームの真相の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でまとめました。

北斎は名前を頻繁に変えたことでも知られ、生涯で名乗った雅号は30回以上に及びます。代表的な改名の流れは以下の通りです。

  • 勝川春朗(かつかわ しゅんろう / 20代〜):浮世絵師・勝川春章に入門して得た最初の号。役者絵などを手掛ける。
  • 宗理(そうり / 30代半ば〜):琳派の流れを汲む「俵屋宗理」を襲名。美人画で人気を博す。
  • 葛飾北斎(かつしか ほくさい / 40代〜):北極星信仰(妙見菩薩)にちなんで命名。独立絵師としての地位を確立。
  • 戴斗(たいと / 50代〜):『北斎漫画』などの大ヒット絵本を刊行した時期の号。後に弟子へ譲渡。
  • 為一(いいつ / 60代〜):『富嶽三十六景』を世に送り出し、世界的評価を決定づけた絶頂期の号。
  • 画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ / 75歳〜没年):自らの画業の総決算として名乗り、肉筆画に没頭した晩年の号。

なぜこれほど改名を繰り返したのか。その理由は「画風をガラリと変えるたびにリセットしたかった」「弟子に雅号を譲って自立させるため(一説には雅号を売却して生活費の足しにしたとも)」「常に過去の成功に縛られたくなかった」など諸説あります。自らのブランド名に執着せず、常に新しい表現を追い求めた姿勢がうかがえます。