ザ・ドリフターズの栄光の歴史は、同時にメンバーとの別れの歴史でもありました。世間を大きく揺るがした主要メンバー4名の逝去について、その時系列と真相を振り返ります。
1. 荒井注(2000年2月9日逝去・享年71)|「何だバカヤロー」を残した初代メンバー
最初に旅立ったのは、グループ初期の黄金期を支えた荒井注さんでした。1974年の脱退後は俳優として独自のポジションを築いていましたが、静岡県伊豆の自宅で入浴中に意識を失い、肝不全のため急逝しました。訃報を受けた際、いかりや長介さんは「一番無茶苦茶だったが、一番憎めない奴だった」と目を潤ませ、メンバー全員がその早すぎる死を悼みました。
2. いかりや長介(2004年3月20日逝去・享年72)|厳格なリーダーの壮絶な闘病と最期
ドリフの絶対的司令塔であり、厳格な父親役としてグループをまとめ上げたいかりや長介さんは、2003年に原発不明頸部リンパ節転移扁平上皮癌を公表。入退院を繰り返しながらも俳優としての執念を燃やし、ドラマ『踊る大捜査線』の和久平八郎役などで重厚な演技を見せ続けました。
しかし、2004年3月20日、都内の病院で力尽きました。病床にはメモ帳とペンが常に置かれ、最期までコントの構成やセリフについて書き殴っていたといいます。告別式で加藤茶さんが読み上げた「あんたがリーダーで本当によかった。ゆっくり休んでくれ」という弔辞は、テレビ中継を通じて日本中を涙に包みました。
3. 志村けん(2020年3月29日逝去・享年70)|コロナ禍初期の悲劇と突然の別れ
世界中が混乱に陥った2020年初頭、日本芸能界最大の悲劇となったのが志村けんさんの急逝でした。2020年3月17日に倦怠感を訴え、3月20日に重度の肺炎と診断され入院。3月23日には新型コロナウイルス陽性であることが公表され、人工心肺装置「ECMO(エクモ)」による治療が試みられたものの、発症からわずか12日後の3月29日夜、息を引き取りました。
感染症対策の厳戒態勢下であったため、遺族や加藤茶さんらメンバーでさえ最期に顔を見ることすら叶わず、遺骨となって戻ってきた現実は、全国民にウイルスの脅威をまざまざと見せつけました。追悼特番で加藤茶さんは「志村、お前はバカだな。なんで俺より先に逝くんだ」と絶句し、その早すぎる死は今なお多くの人々の心に深い傷痕を残しています。
4. 仲本工事(2022年10月19日逝去・享年81)|不慮の歩行中事故と突然の暗転
志村さんの死からわずか2年半後、再び悲劇がグループを襲いました。2022年10月18日午前、横浜市西区の信号機のない交差点を横断しようとした仲本工事さんが、直進してきた乗用車にはねられました。
頭部を強く強打した仲本さんは病院へ救急搬送され、開頭手術を受けましたが、翌10月19日夜、急性硬膜下血腫のため81歳で亡くなりました。前日まで元気にSNSを更新し、高木ブーさんらと共演イベントの準備を進めていた矢先の出来事であり、あまりにも突然の悲運に関係者は言葉を失いました。