1911(明治44)年に富山県で生まれた瀬島龍三の経歴は、近代日本の軍事と経済の歩みそのものを体現しています。陸軍士官学校を首席(44期)、陸軍大学校を次席(51期)で卒業し、昭和天皇から恩賜の軍刀を拝受した軍事エリート中のエリートでした。太平洋戦争期には大本営参謀(作戦課)としてガダルカナル島撤退作戦やフィリピン防衛戦、レイテ作戦などの立案に関与。敗戦時は関東軍参謀として満州(現・中国東北部)でソ連軍との停戦交渉に当たりました。
終戦後、11年間におよぶ過酷なシベリア抑留を生き延び、1956(昭和31)年に帰還。47歳となった1958年、伊藤忠商事に入社します。航空機部や業務本部を率いて頭角を現すと、軍参謀本部の情報分析手法を商社ビジネスに導入し、同社を繊維商社から総合商社へと脱皮させる原動力となりました。1978年には代表取締役会長に就任。伊藤忠商事を業界トップクラスへと押し上げた手腕は、ビジネス界で伝説視されています。
さらに政界へも強い影響力を発揮しました。元海軍主計主計中尉であった中曽根康弘元首相の指南役として、第二次臨時行政調査会(土光臨調)の仕掛け人となり、国鉄(現JR)・電電公社(現NTT)・専売公社(現JT)の「三公社民営化」を水面下で主導しました。軍部、経済界、政権中枢のすべてで頂点に影響を与えた存在こそ、彼が昭和の怪物と称される所以です。