岸信介が「昭和の妖怪」と呼ばれるようになった最大の理由は、卓越した政策立案能力と、目的のためには手段を選ばない冷徹な権謀術数を併せ持ち、死線をくぐり抜けながら権力の中枢へ返り咲いた底知れなさにあります。
東京帝国大学法学部を首席で卒業した岸は、農商務省に入省。「革新官僚」の若手リーダーとして頭角を現した彼は、1936年に日本の傀儡国家であった満州国(現在の中国東北部)へ渡ります。満州国国務院総務庁次長などを務めた岸は、鮎川義介(日産コンツェルン創業者)や東條英機らとともに「弐キ参スケ」と呼ばれる実力者グループを形成。巨大な統制経済の実験場であった満州で強大な権力を握り、その辣腕ぶりから早くも「妖怪」の片鱗を見せていました。
当時の岸を物語る名言やエピソードとして、「金は政治家の血液だ。清濁併せ呑む度量がなければ大事は成せない」という現実主義的な哲学が広く知られています。官僚統制の切れ味、軍部や財界を自在に操る人心掌握術、そして巨額の資金を動かす胆力が、彼を単なる官僚から「昭和の黒幕」へと押し上げました。