絶頂期での電撃的な引退や復帰を経て、彼女は音楽プロデューサーである宇多田照實と出会う。二人は結婚と離婚を繰り返すという不器用で破天荒な関係を結びながらも、音楽という共通の言語で強く結ばれていた。1980年代、拠点をニューヨークへと移した彼らの生活は、決して穏やかなものばかりではなかったが、そこには常に新しいサウンドへの飽くなき探求心が存在していた。
1983年に誕生した一人娘の存在は、藤圭子の人生に決定的な変化をもたらす。自らが歌の世界で舐めた甘みと苦しみのすべてを知る彼女は、幼い娘が持つ規格外の音感と圧倒的な表現力をいち早く見抜いていた。自宅のプライベートスタジオで無邪気に声を張る幼少期の娘を、彼女は愛おしさと厳しさが混ざり合った眼差しで見つめていたという。娘がのちに世界的なアーティストへと成長する礎は、このニューヨークの小さな部屋で静かに築かれていったのだ。